weeklyアキタミチコラム

九州産直クラブのカタログ連載中の畜産・農産コラムをまとめています!

16013nezasu vol.10 「子育て」という本能を育てる

 

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カタログでご案内している『健康あか牛』。穀物をたくさん食べさせてサシがたくさん入った日本的な牛ではなく、牛自体が健康に育つように粗飼料(草など、牛が本来好んで食べるエサ)をたくさん与えて育てています。育てている牛種は、その名のとおり『菊池農場』がある熊本で昔から育てられてきた「あか牛」。穀物をたくさん食べさせることでがっちり大きく太る「黒毛和牛」とは違い、草でも比較的太りやすい牛種であったため「あか牛」を育てるようになりました。

しかし、空前の赤身肉ブームで「あか牛」が注目されたことや、肥育・繁殖農家の高齢化により、子牛も太らせる前の素牛(もとうし)も価格が高騰しています。そのため、本来であれば子牛を生むための母牛として育てたいような雌牛も、肥育用(太らせて肉にする用)にまわしてしまうような事態に。このままでは、種としての数がどんどん減ってしまうため、実は、絶滅が危惧されるほどの危機的な状況です。

それでも、地元の牛で、私たちが育てたいエサで育ってくれる「あか牛」を、続けられる限り続けたいと思いながら道を模索しています。そんな気持ちと、子牛が高くなり外から買うことによる経営への負担を考えて、以前から行っていた「一貫肥育」により力を入れています。自分たちでお母さん牛を育て、生まれた子牛を太らせるこの飼い方は、小さいころからエサや飼い方の管理もしっかりできるメリットがありますが、他の畜産農家であまり一般的な方法ではないだけあり、出産や子牛を出荷するまで育てる時間とリスクも伴います。

私自身、『菊池農場』での話を聞くまでは、「動物って、誰にも教わらずに出産できてスゴイ!」と勝手に思っていました。しかし実際は、だいさん(菊池農場)の経験談ではありますが、子牛と母牛を早めに離して人工乳で育てる(その方が早く大きくなる)飼い方で育った牛は、子牛にお乳をあげるのを嫌がったり子育てがうまくできない牛が多いとか。『菊池農場』3~4ヶ月の間は母乳で母牛と一緒に育った牛たちとは、明らかな違いがあるようです。

そんなことを思うと、人だって牛だって、誰にも教わらずに簡単に生んで育てられるわけではなく、自分の経験や周りを見ながら、子育てを学んでいるだろうと感じます。肉として食べることを考えたら、効率的に育ってもっとおいしい肉が安く手に入るように考えたら、穀物飼料や人工乳は人間の知恵の賜物です。でも、だからこそ、お金に変えられないところで「できるだけ長い間、母子を一緒に育てたい」と思って育てる『菊池農場』や『やまあい村』の取り組みは、尊いことだと改めて感じます。だからオイシイとか、だから栄養価が高い、とかにつながることではないかもしれないけれど、それでも、そのことに価値を感じてもらえるようでありたいと、自分も子どもを授かって、なおさら感じるようになりました。

16010nezasu vol.9 一頭・一羽まるごとからとれるお肉

 

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先日、「鶏丸体のさばき方教室」に参加しました。講師は、グループ企画部の朝長さん。20代で某スーパーの精肉担当として鶏の加工を習得し、長年生協や生産団体で鶏の担当をしてきたエキスパートです。魚で言えば、内蔵やうろこまでとった「下処理済」の状態から三枚おろしをする(部位ごとに切り分ける)工程をご指導いただきました。

 作業は、ローストチキンで思い浮かべるような、羽毛と内臓を取り除いた丸体の状態から、ムネ肉をとり、そこから手羽先と手羽元をわけ、ムネ肉の下にあるささみ、そしてモモ肉を外していきます。最終的に「もも、むね、ささみ、手羽先、手羽元」が2つずつとれて、最後に「鶏がら」が残るのですが、これが思うようにはいきません。

骨から肉をはずす際、骨に沿って包丁を入れていくのですが、飼育期間の短い若鶏では骨もがっちり固いわけではなく、骨がサクッと切れてしまったり、足先の骨を折って肉をはずす際には、上手にできないと肉に骨が残ってしまったりすることもあります。特に、慣れていないと不用意に力を入れて骨を折ってしまいがちです。自分でさばく分には、触って取り除くか、食べて入っていれば吐き出せばいいので問題はないですが、一般的には、肉に骨が残っていると「異物混入」と同じように扱われてしまうもの。今まで意識したことがありませんでしたが、さばく人の技術の高さもすばらしいですし、改めて、もとは骨付きで生きていた生き物だということを改めて意識させられました。

鶏であればまだ「どのあたりにどんなお肉がついているのか」がわかりそうなものだと思っていましたが、それでも骨や筋肉のつき方など知らないことばかり。豚や牛ほど大きくなると、ロースやバラがどんな風についていてどのくらいの量なのか、もっとわかりにくいかもしれません。同じ環境、同じような餌で育っていたとしても、1頭ずつ味も違えば、部位ごとに固さや脂のつき方もさまざま。

「自分と一緒」だと思うことは、生き物としての豚と食べ物としての豚肉を実感としてつなぐ、大切な気持ちであるような気がします。なかなかいつも販売している肉だけでも、紹介する農場の様子だけでも、伝わりにくいことだとは思いますが、豚は特にいろいろな部位をカタログでご紹介しているので、お試しいただければと思います。

16007nezasu vol.8  驚きの添加物「亜硝酸ナトリウム」

 WHO(世界保健機構)の専門機関が発表した「加工肉の発ガン性」問題。「1日に50g以上摂取すると大腸がんの発症リスクが18%上昇する。」という報告がなされ、加工肉(ハムやソーセージ)を食べる危険性が喫煙と同じレベルだ、という衝撃的な見解が話題になりました。

 具体的にがん細胞を生み出す原因物質やメカニズムについては報告されていないそうですが、「ハム・ソーセージで発ガン性の危険」といえば、以前から発色剤として使用する「亜硝酸ナトリウム」が問題視されています。

 「亜硝酸ナトリウム」は、そもそも毒性が強い物質で致死量は0.18g~2.5g。毒薬としても使用される青酸カリの致死量0.15gと変わらない危険性がある上に、肉に含まれるアミンという物質に反応して「ニトロソアミン」という強い発ガン性を持つ物質に体内で変化すると言われています。一般的にも残留基準値が厳しく設定されていますが、もちろん、できれば使っていないものを食べたいものです。

 しかし、それでもこの薬剤がほとんどのハムやソーセージに使われているのには2つの目的があります。

 まず一つ目が「肉の見た目をよくする」発色剤としての役割です。挿入している写真をご覧ください。

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これは、先日出会った無添加品と一般品、両方のベーコンを作っている生産者の商品です。上が無添加、下が発色剤入りなのですが、上の方がどう見ても脂身が多く見えます。発色剤を使うと、下の写真のように脂身だと思っていた部分も肉であることがわかりますが、無添加で作るとまるで半分くらいが脂身でできているよう。脂身に見えるからと言って、この部分を落してしまうと肉の歩留まりがかなり悪くなり、より採算が合わなくなってしまうのが無添加の難しいところです。このような理由により、見栄えと歩留まりを考えて発色剤としての「亜硝酸ナトリウム」は欠かせません。

 もうひとつの目的は、その強い毒性を用いて、加工肉に発生しやすい「ボツリヌス菌」を抑えること。土の中や海や川の泥の中に住んでいるどこにでもいる菌ですが、菌の中でも最強と言われる神経毒を作り出します。真空パックの肉の中やソーセージの中で繁殖できるため、加工肉では特に怖がられており、この菌の働きを抑えるために、「亜硝酸ナトリウム」を加えていることもあります。食べる直前に100度で数分間加熱すれば死滅しますが、どちらの危険性も侮れません。

 

 絶対悪ではないけれど、でも使うことがあたり前ではないように。自分が選ぶとき、販売者として作るに携わるとき、何を大切にするのか問われているのだと思います。

 

16004nezasu Vol.7 田んぼで作る牛のエサ

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「安心・安全な食」の根っこを考えるとき、一番大事なことは「食べ物が買える」ことだと思います。今の日本ではお金さえあればいつでもどんな野菜も食べ物も手に入るので、その事をうっかり忘れてしまいますが、それが「あたり前」ではないことを、食料自給率の問題を考えるたびに思い出します。

特に畜産業界は深刻で、餌の基本となる飼料の約9割が外国からの輸入に頼っています。地球規模の気候変動による不作やバイオエタノール需要、新興国の食の多様化による穀物需要、円安など、穀物の価格は高騰の一途を辿っており、肉の価格や農家の生活に大きな打撃を与えてしまう構造です。

そもそも、日本に肉食や牛乳を飲む文化がここまで広がったのは明治以降。飼育規模が大きくなるにつれ、外国からの飼料の輸入も増え、日本は世界で一番たくさんトウモロコシを輸入する国となりました。かつては、「国内で作るよりも輸入したほうが安い」という状況でしたが、近年は高コストな自給飼料に追いつく勢いで輸入飼料が値上がりしています。「耕作放棄地の解消」や「飼料の自給」を目指して飼料米の生産に補助金が出たり、食品廃棄物を使用することが推奨されたり、できる限り輸入に頼らない畜産のかたちが模索されています。

そんな中で、「昔は、田んぼで牛のエサを作るなんて、考えられなかった」と、以前取材に行った熊本あか牛の繁殖農家の方も、『すすき牧場』の薄社長も、同じことを言っていたことを思い出して、外国か国産かを考えるという議論とは別の問題として、食べ物に対する根本的な考え方が変わってしまったことを感じます。

本当は、肉として食べるためだけに育てるということは、すごく特別で贅沢なこと。もしかしたら、お金を出せば買うことができてしまうから、安いお肉があるから、私たちはわからなくなっているのかもしれません。輸入飼料に頼らない畜産のためには、牛たちが食べるもの・飼い方を変えると同時に、私たちの食べ方も変わらなければ。走る豚やあか牛をたくさん食べて欲しい!と思いながらも、私たちの食生活の中でお肉がもっと特別な位置になって、あたり前ではない食べ物になっていくのがいいのではないかとふと考えてしまいます。

 

15051nezasu vol.6 「うしさん」と「人間」

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福島第一原発から14キロ地点に『希望の牧場』という牧場があります。私がそれを知ったのは、昔から好きだった作家さんが書いた一冊の本。警戒区域内で300頭以上の牛を飼う、この牧場について紹介した絵本がきっかけでした。(森絵都、2014、『希望の牧場』岩崎書店)

事故後、その地域は当然避難指示が出て、住んでいた人たちはその場所を離れるように命令が来て、家や仕事を捨てなければなりませんでした。畜産をしていた人たちも同じで、彼らはペットではないし、連れて逃げることはできません。そもそも、肉にするために育てきたけれど、汚染された地域で、汚染された餌しかない牛たちが、肉として流通することはもうありません。餓死させるか殺処分するかという選択しかありません。しかし、そんな事情は動物たちにはわからないので、エサがほしい、水がほしいといつもどおりに鳴き続けます。愛情をこめてそだててきた牛たちを残して、泣きながら家をあとにしたたくさんの牧場があった中、この本で取り上げられた牧場は、その地域に残り餌をやり続けることを決めた牧場でした。

現在は、放射能の動物への影響を調査研究するために学術関係者が入っているようですが、本が書かれた当初は、「そこに残って牛に餌をやる」ことに理由や、ゆるぎない正義、ましてや儲かる算段なんて(きっと今も)あったわけではなく、あったのは本の終盤に何度か出てくる「オレ、牛飼いだからさ」ということば。お金だけで考えれば、餌をやる必要はないし、むしろ売ることができないのでなんのためにしているのか理解ができない…。ですが、生き物を飼うという仕事は、そんな計算や正しさで測れることではないことなのだと、その牧場を思うたびに考えさせられます。

そんなことを考えながら、先日『宗像おこめ牛』の取材に『すすき牧場』さんへお邪魔したときのこと。しばらく事務所で話を聞いて、車で牧場を案内してもらったとき、会議室ではクールな感じだった担当の方が、案内している間、きっと普段からそういうふうに呼んでいるんでしょう、終始牧場の牛たちを「うしさん」と呼んで説明してくれたのに、形は違えど牛たちへの同じような愛情と敬意を見た気がしました。同じ気持ちで、私たちは食卓で「いただきます」と「ごちそうさま」が言えるようでありますように。ただの「肉」ではなく、「いのち」として『菊池農場』や『やまあい村』のお肉が食べてもらえたらと思います。

15048nezasu vol.5 TPPがお値打ちな牛肉と酪農に与える影響

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 かねてから「本当に国内産業への影響は大丈夫なのか」と問題視されてきたTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)。そもそも日本の国土は、海外に比べると狭いので、海外が「生産効率高い=価格が低い」のは、すごいことでもなんでもなく地域特性の問題。さらに関税が撤廃され、「外国産は高い」という価値観がなくなったとき、私たちはいかに「価格以外の価値」で判断できるのでしょうか。

先日聞いた、ちょっと不安になった話をひとつ。現在38.5%の関税がかかっており、段階的に下げられて16年目に9%にまでなる見込みの外国産牛肉と酪農に関するお話です。

もちろん、「牛肉が売れなくなる」「農家が少なくなる」ということが不安要素なのですが、実は「牛」とイメージするような「●●牛」などの「和牛」よりも「一番大きく影響を受けるだろう」と言われているのが「国産牛」などと呼ばれる少し安価な牛肉となる牛たち。乳廃牛やホルスタインの雄牛、交雑牛などと呼ばれる乳牛の子どもとして種付けされた肉用種(すすき牧場の「おこめ牛は」この生まれの牛です)で、加工食品や外食産業、普段使いとして食べてきた牛肉です。国産の安価な牛肉が、外国産にとって変わっていくほどに、国産牛の市場が価格崩壊し、育てるための採算ラインを下回ってしまうことが考えられます。

それだけでは終わりません。そもそも「国産牛」たちが安く流通する理由は、純粋に「肉にするため」に生ませて育てるわけではなく、出産しなければいけない乳牛のお腹を借りたり、出産を経験している繁殖牛や乳廃牛だったり…と、別の役割も持っている牛を肉にしているから。つまり、畜産と酪農、一見関係ない問題に感じるかもしれませんが、「国産牛肉」は、酪農家や肥育農家の収入の一部としても重要な役割があり、その崩壊は酪農家の経営にも影響を及ぼすかもしれない、という心配があるのです。

今後、補助金で生産者を保護できるのかもしれませんが、食の基盤が崩壊することで私たちは食べ物を自立して確保できなくなってしまうことが心配です。

15045nezasu vol.4 私たちの生活が、国産のお肉が買えなくする?  

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風が吹けば桶屋が儲かる」ではないですが、回りまわって…というか、世の中で起こっていることが、自分の生活に結構直接的に影響を及ぼすことがあるものなのだと、改めて感じています。

そのひとつが、最近の肉類の値上げ。私たちの農場である『菊池農場』や『やまあい村』とは、もともと「市場価格」ではなく「生産原価※育てるためにどれだけコストがかかるかを基本に価格を決めること」をベースに関係づくりをしてきていたので、世の中の価格と比べて決して安くはありませんでした。しかし、最近一般価格がじわじわ値上がりし、部位によってはほとんど変わらないようなものもあるので、スーパーで一般価格を見てびっくり。世の中のお肉の値段が少しずつ値上がりしているのが伺えます。

こんなとき、フツウであれば、肉が高い=牛を育てると儲かる!=出荷を増やそう!となり、需要と供給のバランスがとれて価格も徐々に下がってくるものですが、そうなっていかないところが日本の畜産の未来に不安を感じるところ…。2010年の宮崎の口蹄疫による30万頭規模の牛・豚の殺処分や東日本大震災など、畜産農家への直接的な大きな打撃と、生産者の高齢化による廃業が相次ぎ、一方で新しく始めるには設備投資の金額も大きいので、なかなか新規で畜産業界に参入する、という事例は多くありません。

牛肉が値上がりすると付随して、豚や鶏も値上がりするので「国産」の食肉がますます手に入りにくくなることが見込まれます。

豊臣秀吉の「兵糧攻め」ではないけれど、水や食べ物、環境が整っていなければ、人は生きていくことができません。それだけではなくて、物を作って人に販売したりする生産活動も、結局もとをたどれば、水や自然資源が原料になっていて、環境や安全な水がなければ、お金を獲得することもできません。今日の財布、今日の家計のことももちろん大切だけれども、それだけが判断基準になってしまうのは、ゆるやかに自分の首を絞めるようなもの。自分たちの「選ぶ力」を今のうちにしっかり培っておかなければ大変なことになる気がしてなりません。