weeklyアキタミチコラム

九州産直クラブのカタログ連載中の畜産・農産コラムをまとめています!

15051nezasu vol.6 「うしさん」と「人間」

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福島第一原発から14キロ地点に『希望の牧場』という牧場があります。私がそれを知ったのは、昔から好きだった作家さんが書いた一冊の本。警戒区域内で300頭以上の牛を飼う、この牧場について紹介した絵本がきっかけでした。(森絵都、2014、『希望の牧場』岩崎書店)

事故後、その地域は当然避難指示が出て、住んでいた人たちはその場所を離れるように命令が来て、家や仕事を捨てなければなりませんでした。畜産をしていた人たちも同じで、彼らはペットではないし、連れて逃げることはできません。そもそも、肉にするために育てきたけれど、汚染された地域で、汚染された餌しかない牛たちが、肉として流通することはもうありません。餓死させるか殺処分するかという選択しかありません。しかし、そんな事情は動物たちにはわからないので、エサがほしい、水がほしいといつもどおりに鳴き続けます。愛情をこめてそだててきた牛たちを残して、泣きながら家をあとにしたたくさんの牧場があった中、この本で取り上げられた牧場は、その地域に残り餌をやり続けることを決めた牧場でした。

現在は、放射能の動物への影響を調査研究するために学術関係者が入っているようですが、本が書かれた当初は、「そこに残って牛に餌をやる」ことに理由や、ゆるぎない正義、ましてや儲かる算段なんて(きっと今も)あったわけではなく、あったのは本の終盤に何度か出てくる「オレ、牛飼いだからさ」ということば。お金だけで考えれば、餌をやる必要はないし、むしろ売ることができないのでなんのためにしているのか理解ができない…。ですが、生き物を飼うという仕事は、そんな計算や正しさで測れることではないことなのだと、その牧場を思うたびに考えさせられます。

そんなことを考えながら、先日『宗像おこめ牛』の取材に『すすき牧場』さんへお邪魔したときのこと。しばらく事務所で話を聞いて、車で牧場を案内してもらったとき、会議室ではクールな感じだった担当の方が、案内している間、きっと普段からそういうふうに呼んでいるんでしょう、終始牧場の牛たちを「うしさん」と呼んで説明してくれたのに、形は違えど牛たちへの同じような愛情と敬意を見た気がしました。同じ気持ちで、私たちは食卓で「いただきます」と「ごちそうさま」が言えるようでありますように。ただの「肉」ではなく、「いのち」として『菊池農場』や『やまあい村』のお肉が食べてもらえたらと思います。